可能性の蓋がない

暇な時間をどうするかが最近の課題〜

心の傷の癒しかた

いろんな会社の社長や副社長、某大学の教授や先生の集まるイベントがあって、見学に行ってきた。イベントは主催者(夫)の不手際が気になったからびしばし言わねば。夜は懇親会、わたしアルコール飲まないけどテンション高めに持って行けた笑

 

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ファスティング(断食)期間は終わったものの、まだ食事制限してるから、1軒目の食事会では野菜類しか摂らず、2件目のスナックではひたすらウーロン茶を飲み、3件目の居酒屋ではもずく。我ながらえらい…


そして翌日、九州からいらしている某先生を白川郷まで案内することに。ホテルまで迎えに行き、白川郷イン。紅葉終わりかけてるけど綺麗だったなあ。某先生とはあらゆるお話(教育や仕事など)をがっつりしたし、陽射しの下を歩いたからかとても疲れた。先生を駅まで送り届け、買い物に行き、帰宅したら眠気が。思わず寝てしまう…

 

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40分くらい眠ったかな、嫌な夢を見て目が覚めた。昔の失恋の夢。胸がきゅーーーーっと苦しくなって、なんとも言えない切なくて痛くて寂しい気持ち。まだ私の心の何処かにしこりがあるのか?気になった。


思いがけず苦しい経験をしたり、悲しいことがあったとき、それを解決するのは時間しかない。でも、どんなに時間が経っても、消えない苦しみや癒えない傷はある。

 

古傷は時々思い出したかのようにきゅーっと傷む。そのとき、その傷をつけた相手が思い浮かぶなら、わたしはできればその人の幸せを祈りたい。殺したいほど憎くても、あんなやつ死んでしまえと思っても、できれば幸せを願いたい。そして続けて、「わたしにはその5倍、10倍、100倍幸せが訪れますように」と願う。

 

自分を傷つけただれかを「あんなやつ死んでしまえ」と願うのは簡単だけど、誰かの不幸を願うのは、自分のこころに良い事ではないから。憎しみや悲しみが増えるから。余計に忘れられなくなるから。それに、もしかしたらもしかして、自分が傷をつけた側でいる出来事も(相手や出来事は違えど)あるかもしれないのだ。

 

傷つけられるとつらい。悲しい。思い出しては情けなくなったり泣きたくなることもある。忘れたくても忘れられない、もしくは忘れたつもりだったのにふとした時に傷が疼く。つらいけど、自分の心にまだ傷があるとわかったなら、あとはそれを癒す方法を考えるだけ。もしくは共存する考え方、価値観を見つけるだけ。一番大切にすべきなのは自分自身。自分が快適なしあわせな状態でいるべき。この傷があるから得たものもあるはずだ、それを見つけてみよう。

 

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