可能性の蓋がない

暇な時間をどうするかが最近の課題〜

人生は長く短い、しあわせに生き続ける方法。

生きることの切なさ、儚さを思う日々。

 

時間が過ぎるのがあっという間すぎて、自分はどんどん歳をとるし、子どももどんどん大きくなる。親はどんどん老いて行く。人生の良い時って、ほんの一瞬なんだろうなと思う。しかもそれはだいたい、過ぎてから気づくことが多い。

 

 

心身ともに健康で、経済的にもなんの心配もなく、親子や夫婦仲も良好で、仕事や学校や友達や親類関連も問題なく、家族の健康や経済にも不安なく、

 

外的環境(例えば大きな視点で言うと住んでる国が戦争してないとか、経済的に破綻してないとか、自然災害にあっていないとか。小さな視点だと、ご近所さんとの関係や職場や学校やママ友の質など、自分で簡単に選べない環境のこと)も程よく、

 

暑さ寒さもちょうど良く、お腹が空いておらず、「ああ、いい天気だな」なんてことに足を止めて花の香りを感じる余裕と感性と自然に恵まれた美しい環境。

 


そして、他人を思いやり、優しさや温かさを与えられる心のゆとりやそれをあらわす強さがあること。

 


長く短い人生の中で、これらが全て基準点を超え、落ち着いた心のまま、自分であることを誇りに思いながら生きられる時間はどれだけあるだろう。

 

 

周りの人や、世の中のいろいろを見聞きしていると、みんなとても忙しく大変そうだ。あらゆる不安、不満、不自由、不便に満ちてる。文句や悪口、愚痴、ストレス…それでもなお生きていくことに、人の強さやしぶとさがあるのだろうけれど。

 

生を受け、自分を生きるというのはなかなか難題。自分は自分しかいない、なのにコントロールしきれないこともよくある。外的環境のせいのこともあれば内部的問題が原因のこともあるけれど、だいたいの場合、みんな生きることを難しく捉えすぎている気もする。


ここのところ、私は自分が自由であり過ぎることが不安だった。毎日決まった時間に起きて寝て、出勤して、決まりを守りながら働き、少し足りないくらいの報酬を得る…という暮らしとは真逆の暮らしをしてるから。


好きな時間に寝て起きて、得意なことを仕事にして、気が向いた時に働く。全く働かない日もある。たまには会議とか出張で決まった時間に決まったことをしたりもするけど、良い刺激と感じるバランス。収入は、少な過ぎることはないと思う。自分の頭の中にあることを元手に働いてるから、制作や仕入れなどもない。


夫は優しく仕事熱心で、モラハラもなく、穏やか。家事は好きなことしかしていないし、3食作ることもしないし、週末は全て外食。子どもは健康で、学校生活を楽しみ、友達とも仲が良く、今は好きなことを探しながらマイペースに暮らしてる。


恵まれてると思う。嫌なことが何もないし、困りごともない。こんなにも自由で豊かで良いのかしらと思う。世の中のみんな、大変だとかつらいとかしんどいとか疲れたとか言いまくってるから、そうでないわたしは間違ってるのかな?大丈夫かな?って不安を感じてた。

 


でもこれ、わたしがおかしいんじゃないって気づいた。【わたしはわたしを好きに取り扱っているだけ】なのだ。今いる環境が嫌なら、辞めたら良い。出たらいい。理想の環境があるなら、作ればいい。そこに行けばいい。それだけ。

 


わたしはわたしの人生をコントロールして、わたしを楽しんでる。わたしを彩るのはわたしだと気づいてるから、過ごしたい毎日を過ごしてる。

 


良い人生を過ごすためには運や縁ってとても大事。これを外部的要因(自分では変えられない部類のもの)と思ってる人はとても多い。でも、そうじゃない。運や縁は、自分でつくれるし高めて得ることができる。その方法は難しくない。

 

 

人生は短く、されど長い。そして儚くて切ない、だけど生きる力は強さと美しさで満ちてる。そのパワーバランスみたいなものを、人生を通してどう発揮するか。100年くらいラッキーを続けること、難しくないんじゃないかと思ってる。ラッキーの感じ方を変えれば良いだけだから。

 

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