可能性の蓋がない

暇な時間をどうするかが最近の課題〜

自分のことが嫌いな人へ

わたしは「自分のことが嫌い」という人の気持ちがよくわからない。それが大人の場合は特に。

 

 

自分が嫌いというのは、自分の存在に責任を持っていないということだと思う。自分が自分に生まれてきたのは、誰の采配でもない。「こんな親や家族、環境のもとに生まれてきたくなかった」「こんな顔、身体で生まれてきたくなかった」とか、色々思う事はあるだろうけど、それでも、自分が自分として生まれてきたのは自己責任だと私は思う。自分で自分を選んで生まれてきたと言っても過言ではないと思ってる。

 

 

宇宙の歴史や規模から見たら、「今」なんて砂つぶよりちっぽけなもの。一瞬でなくなるもの。そして「私」も同じく、ちっぽけなもの。


でも。この長い長い歴史の中で、まだ解明されていない宇宙の中で、なぜか、何の因果だか、「私」はいま、この時代に、私として生まれ、生きている。わたし以外にわたしはいない。だったらもう、「わたしでいること」に腹をくくるしかないじゃないか。

 


「生きているだけで奇跡だから自分を大切に☆」なんて言葉で表現する人もいるかもしれないけど。そんな大層なことではない。ただ、「私はわたしとして、この時代、このときに生まれ、生きている」それだけのことだ。奇跡でもそうでなくてもどちらでも良い、「私はわたし」たったそれだけのこと。だからせめて、私でいることに責任を持つのだ。そしてその「責任の持ち方」とは、「自分を肯定すること」だ。

 


生まれてきたからには、生きなければならない。辛いこと、苦しいこと、信じられない出来事、たくさんある。乗り越えられることも、乗り越えられないこともあるだろう。生まれながらにして病気の人もいるし、とんでもない環境で暮らす場合もあるし、加害者になることも、被害者になることもあるかもしれない。

 


でも、ある程度の年齢まで生き延びることができたなら、「自分であることに責任を持つ=自分の存在を肯定する」べきだと思うのだ。

 

 

世界中に自分はただひとりなのに、自分が自分を嫌いだなんて……だったら誰が自分を好きでいるのだろう?自分が自分を嫌いでも、他の誰かは自分を好きでいてくれる?そんな事はあり得ない。甘えだ。

 


自分のことが嫌いという人にはとても気をつかう。気を遣ってほしいと言われているような気さえする。なぜなら、その人を肯定しなければならないと思ってしまうから。その人との接点がマイナスから始まる気がするから。自分の人生を生き抜こうと思っていない人なのかな、と思ってしまうから。

 

 

 

わたしは育った環境はあまり良くないし、離婚歴もあるし、仕事をクビになったことも、鬱になったことも、お金がなくて困ったことも、親に悩まされたことも、人に嫌われたことも、ひどい扱いを受けたこともある。でもそんなの、それだけのことだ。それがわたしの全てではない。過去が私を作るけど、未来も私が作る。自分でわたしを選んで生まれてきたのだから、マイナスもプラスもひっくるめて、でも自分を否定せず生きることが自分であることの責任じゃないかな、と思う。

 

 

 

 


過去や環境を愛せない人へ。

過去に感謝できないことはある。よくわかる。でも、許すことはできる。過去を許して、自分を肯定すると、人生は変わる。絶対変わる。

 

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