可能性の蓋がない

暇な時間をどうするかが最近の課題〜

平成から令和にかけて考えていたこと その1

平成の終わり

新時代のはじまり


わたしは昭和生まれだけど物心ついたときは平成になっていたので、わたしの人生に起きた大きな出来事は(自分の生誕以外ほぼ全てが)平成に起きている。

 

いま、しみじみ振り返ってみたけれど……なんとも言えない人生だなぁ。


見方によっては強運で幸せとも言えるし、一方で不遇な出来事が多く波乱万丈とも言える。強運だから波乱を乗り越えられたのか、波乱万丈だったから強運になれたのか。どっちかな。どっちでもいいか。

 


死にたいと思ったことは一度や二度ではないけれど、死ななくて良かったと思った日もたくさんある。


だからわたしは、幸せだと感じた時に過去の自分を励ましている。


「あの時の、若いわたし。今はとってもとってもつらいよね、しんどいよね、でも大丈夫だよ未来は明るいよ、幸せだと思える日があるんだよ、本当に頑張ったね、若かったわたし」   

 

過去の悲しみは、すでに記憶に残っていないとしても、小さな粒となって体をつくる粒子になっている。それは大切な自分の一部ではあるけど、その悲しみに支配される必要はない。だから、できればその粒子の色を塗り替えてあげたい。辛く苦しい思い出も、それを乗り越えた未来の私が幸せになっていたら、ハッピーを彩るピースのひとつなのだ。

 

そして未来の私は、今のわたしに「もっともっともっとしあわせハッピー最高だよ!」って笑ってる、と想像する。すると、自分の未来が楽しみになる。人生は間違ってないと思える。

 

そう、「人生最高の幸せ」はどんどん更新されてゆく!

 

【次の記事へ続く】

 

 

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(タイのルーフトップバーからの夕日。きれいだった!)