可能性の蓋がない

暇な時間をどうするかが最近の課題〜

誰とも違うから、自由になれる。

相変わらずマイペースに暮らしていて、自由だなーしあわせだなーと思う。


平日16時にパン買ってコーヒー買って(絶対デカフェ)公園に車停めてぼんやり食べてる時とかね。

夕食の支度とか子どものお迎えとかあったらなかなかできないもんなぁ…

 


家族といるときも、一人のときも、どちらもしあわせだ。


一人でいるときは家族と何をして過ごそうか考えるし、家族といる時は一人でしたいことを考えたりする 。どっちも持ってるからできることだから、わたしは本当に恵まれてると思う。ありがたいと思う。

 

わたしは同世代の多数の人より10年~15年ほど人生サイクルが早くて、一人暮らしも結婚も出産も、ついでに離婚も一番乗り。


今、同世代のお友達は乳幼児や小学生の親をしてるけど、わたしは高校生の母。結婚も2回目だから、なんか落ち着きまくり。で、かわりに?祖父の介護に片足突っ込んでる。我ながら人生急ぎ足だ、悪くない。何故ならかなり面白いから。

 

見える景色が人と違うこと、モデルケースがないこと、どんな雑誌にも似た境遇の人が載っていないこと、どんな雑誌にもターゲットにされていないことから最初に得たのは、不安や迷い。でもその不安はだんだん面白さやしあわせや自由に変わり、心の強さと豊かさになった。

 

人と違うことは嫌ではなかったけど、前任者がいないというか、「誰とも似ていない」「参考になる人生の先輩がいない」というのは時々すこし苦しかった。何もかも自分で考えて動かなきゃいけなかったから。けど、誰もいない道を歩いたから今の私が居るんだなぁと思うと…過去の自分に感謝したい、「誰とも違う自分でいてくれてありがとう」。

 

 

自分の人生を肯定することは、しあわせへの一番の近道で王道だ。誰にでもできるんだよ。

 


なんてことをぼんやりぼんやり考えていたら、夫から夕食の誘いがきた。お蕎麦でも食べて、散歩しよう。

 

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マナー講師が若者をダメにする

先日、とあるお仕事で「マナー講師」の方と打ち合わせをした。その方は名だたる大企業や国立を含めた有名大学などで、社会人や学生を相手に、マナー研修やスキルアップセミナーの講義を行っているそうだ。

 


その方曰く、「ノックは3回」。


2回のノックは「在室確認=室内に誰かがいるかどうかを確認するためのノック」で、3回のノックは「入室確認」、つまり「このお部屋に入っても良いですか」を確認するためのノックなのだとか。ゆえに、訪問先や面接会場などでノックを2回しかしないのは「間違い」で、NGなのだとか。


………くだらねえええええええ!!!!!!!!!

 

おっと、言葉が乱暴になってしまった。失礼。

 

……他にも、正しい名刺の渡し方とか、世の中にはあらゆる「ビジネスマナー」とやらがあるらしい。もちろんわたしも多少は知っているし、なんとなーく実行してるけども、誰かに教わったわけではないから間違いもあると思う。が、名刺の渡し方や挨拶の仕方で相手を怒らせたとか、そういった大失敗をしたことは無いと思う。

 

ノックの話はひとつのエピソードだけど、他にも「マナー」と呼ばれる謎の習慣はたくさんたくさんありそうだ。世の中の学生さんは、就活生は、サラリーマンは、こんなにもくだらないことがまかり通る世界の中で生きているのか…と愕然とした。もし、ノックの回数が1回違うだけで落とされる(あるいは内定をもらう)ような企業なら、そこには入社しない方が良いとすら思う。組織としての頭が悪いから。

 

 

マナーとは、相手や環境への思いやりだと私は思う。


具体的にいうと、相手の時間を奪わない(始まりと終わりの時間を守る)、不機嫌でいない、怒らない、きちんと自分の考えを自分の言葉で伝える、相手に届く声でわかりやすく話す、相手の話を聞く、笑顔でいる……相手を敬いつつ自分やその場の環境も大事にすることというか、その時間を実りあるものにすることや、相手と気持ちよく楽しく過ごすこと、みたいな。


その場にいるみんなが健やかで良い時間を過ごす、そのためにはどんな言葉を使い、どんな行動をすべきか、それを考えたら、ノックの回数なんて恐ろしくくだらないとわかるはず。

 

ノックの数だとか名刺入れの向きだとか名刺の持ち方だとか……そんなことで気持ちが左右されたり、互いの存在やその時間の正解・不正解を決められてしまうのが「正しいマナー」だとしたら、それって人間の知能低すぎない??と思う。上辺だけの動き、行動を覚えさせるならお猿さんやイルカにもできるのだ。「名刺の渡し方は完璧だけれど自分の意見は言えない」「自分の考えはないから言われたことをやるだけ」なんて人と仕事したくないし、そんな人に良い仕事ができるとも思えない。

 

もちろんマナー研修の類は学生や新人用に行われることが多いから、組織としては「そもそも自分の意見を自分の言葉で言うなんて新人にはまだできない。最低限のマナーを知り、相手に失礼のない人材に育てるための研修なのだ」というのが言い分だろう。でもね、そもそも笑顔での挨拶も自己紹介もできず自分の考えも言えないような人ばかりが入社してるなら、その会社腐ってるから。腐ってるからそんな人材しか来ないんじゃないの???と思う……

 

ノックが2回か3回か。それはいったい、いつ、誰が決めたのか。なぜそれがまかり通るのか。なぜそんなことを会社や学校から教えられ、なぜそれを「正しいから実行しろ」と言われるのか。むしろそこに疑問を持つか持たないかが、踏み絵になると思う。疑問を持つ人なら、ポテンシャルある。

 


とりあえずマナー講師と呼ばれる人は世の中を腐らせてる要因の一部なのでは?と思う今日この頃です。思考停止の若者を増やすなー!!と言いたい。

人見知りを治す方法

私は全く人見知りをしない。


初対面で何を話したら良いのかなとか、相手は私をどう思うのだろうとか、失礼はないかしらとか…思うけど、それと態度は繋がらない。

 

 

初対面の人と数時間話すこともできるし、私以外みんな知らない人のパーティーに参加するのも平気。外国語はできないけど、困っている人を見かけたら外国人でも声をかける。性別も年齢も関係なく、誰とでもお喋りできるし食事にも行ける。(ぼっちでいることも平気、1人海外旅行も一人ディズニーも一人焼肉も問題なし)

 


それはなぜか。

 


極端に言うと、人見知り=時間の無駄だし、相手の時間を奪っている とも思うから。それだけだ。私なりに、相手を思うカタチの一つが「人見知りをしないこと」。

 


私の場合、自ら「人見知りなんです」と言う人には気を使う。気持ちよく過ごしてもらうにはどうしたらいいの?と考えてしまい、結局「こんな薄っぺらい会話って意味ある?なんでこの人と喋ってるのかな」と思ったりもする。

 

人見知りの人は、自分に自信がないとか人に嫌われたくないとか自分の言動がヘンと思われないか気にするあまりあまり喋れない、と言う。でも、こちらからしたらそんなことはどーーーーーでもいい!


あなたが嫌われるか嫌われないかはあなたの問題であり、こちらは関係ない。あなたを嫌うか嫌わないかはこちらの感情であり、あなたは気にしなくていい。そもそも「人から好かれようなんてことがおこがましい」という考え方もあるし、好かれたいならもっと自分を出した方がよっぽどいい。当たり障りのない人なんて、いるもいないも同じ。あなたでなくても良いのだ。

 

人見知り=自分に自信がない  という割に、「好かれたい」って、矛盾してない?どうして、自分に自信がない人が好かれると思うの??と思ってしまう笑    「私は人見知りですがあなたに嫌われたくはないんです!」って、図々しいぞ。

 

 

コミニュケーションが面倒なのであれば、最初からそう言ってくれたら良いしね。あと、コミニュケーションを取りたいけどそのスキルがないなら、それも言えばいいと思う。得意な方がリードすればいいのだ。察して欲しい、というのは甘えだ。

 

 

 

あなたが「嫌われるかも」「変かも」と思ってるポイントが、他人から見たらとても面白いかもしれない。愛おしいかもしれない。発見かもしれない。あなたの経験から得るものもたくさんあるかもしれない。だから、どんどん自分を出したらいいのに、と思う。その結果嫌われたら?そんなことどーだっていい。人は他にもいる笑

 

 


それに。最終的には、自分が自分を好きでいられることが一番大事だ。

 

 


人にどう思われるかなんて、考えるだけ無駄なのだ。だって人の気持ちはわからないから。それに、自分に正直に気持ちよく過ごしている人は魅力的だから、人が集まる。だから問題なーい!!

 


わたし娘の小学校や中学校のママ友は1人も居ないけど、他のジャンル?で性別や年齢問わずお友達がいて、子ども巻き込んで遊んだり教えてもらったりしてとっても楽しいから全く問題無いしね笑 

 


ちなみに。人見知りしないためのコツは、「100年経ったらみんな死んでる」って思うことですー笑

 

あと、
善い行いは良いことを呼ぶし、悪い行は悪いことを呼ぶ。シンプル。だから100年経ったらみんな死んでるけど、その100年をできるだけ良く過ごそう!と思ってる。となると、人見知りする暇なんてないーー

 

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自分Q&A 10年後の自分はどこにいる?

わたしの趣味は散歩。特に夜の散歩はかなり好きだ。


風が気持ちよくて、空気が澄んでいて、静かで、人がいない街をぐんぐん歩くと、自分の幸せを噛み締めたくなる。時には過去のことを深く考えて意味を探ることもあるし、自分が生まれるより前の歴史に想いを馳せることもある。はたまた、自分の将来やまだ見ぬ未来について想像を膨らませることもある。歩きながらだと、考えごとも妄想もはかどるのだ。

 

今日も夜のお散歩に行ってきた。涼しくて過ごしやすい気温の中、夏はこればっかり!の愛用ビーチサンダルでどんどん歩く。

 


ふと、10年後のわたしもここを歩いているのだろうか?と思った。そして即座に「10年後はここにはいたくない」とも思った。そこから、頭はどんどんロジカルになる。なぜ?を繰り返す。自分にQ&A

 

 

 

Q.なぜ、10年後はここにいたくないの?

A.ずっと同じ街で暮らすのはつまらないから。

 

Q.なぜつまらないの?

A.見慣れた景色の中で同じ事の繰り返しが増えると、つまらなさを感じる。新鮮さがほしい。とはいえ、変わらない日々の暮らしの中にある愛おしさや、変えたくなくても変わってゆく切なさがあるのは知ってる。それを大事にしたい気持ちもあるから今すぐ引っ越したいわけではない。

 

Q.じゃあ、理想的な暮らしは?

A.拠点はこの街に置きながら、旅行や短期滞在で色々なところに行きたい。安定と刺激が交互にある暮らしが好き。見る景色、過ごす環境が何種類かあるのが好き。

 

 

Q.都会がいい?田舎がいい?

A.東京も田舎も海外も楽しみたい。とはいえ海外に長く住むイメージはないし、東京にずっと居たいとも思わない。今の環境はご褒美?ってくらい最高だから、そこに更に刺激を少しずつプラスしたい。

 

 

Q.暮らしたい国はある?

A.東南アジア、中東、アメリカ。

 

 

Q.この街には家があるけどそれはどうするの?

A.そもそも家に縛られるのは嫌だ、拠点として使えたらそれでいい。誰かに貸してもいい。

 

………

10年後のわたしはどこで何をしてるのかしら

どの街を散歩してる?

誰と散歩してる?

何を持ってどんな服を着てる?

何を考えながら歩いてる?

 

きっと、台湾の路地裏やハワイのビーチ、シンガポールの植物園に香港のクラシックなホテルの下、ベトナムのバイクの隙間やタイの夜市、ドバイのモール、オランダのお城の前、東京タワーが見える並木道をビーチサンダルで歩いてる!

 

最高に大好きで一緒にいると奇跡的なハッピーが起きまくる、知的でパワフルで力持ちでお金持ちで理解のあるパートナーと。

 

スマホ(かな?10年後はどうかな?)一つをワンピースのポケットに入れて、時々美しい花や海の写真を撮り、それを家族に送る。美味しいお店に入って気ままに食べ、美しい自然や夜景にうっとりする。

 

考えてることは、きっと幸せなことや楽しみなことばかり。そして、過去と未来と周りへの感謝をずっとずっとつぶやいてる(ちょっとこわい?!笑)。わたしの人生は本当に最高、美しい、幸せ、ありがとう!!!!!って思いながらテクテク歩いてる。

 

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自分のことが嫌いな人へ

わたしは「自分のことが嫌い」という人の気持ちがよくわからない。それが大人の場合は特に。

 

 

自分が嫌いというのは、自分の存在に責任を持っていないということだと思う。自分が自分に生まれてきたのは、誰の采配でもない。「こんな親や家族、環境のもとに生まれてきたくなかった」「こんな顔、身体で生まれてきたくなかった」とか、色々思う事はあるだろうけど、それでも、自分が自分として生まれてきたのは自己責任だと私は思う。自分で自分を選んで生まれてきたと言っても過言ではないと思ってる。

 

 

宇宙の歴史や規模から見たら、「今」なんて砂つぶよりちっぽけなもの。一瞬でなくなるもの。そして「私」も同じく、ちっぽけなもの。


でも。この長い長い歴史の中で、まだ解明されていない宇宙の中で、なぜか、何の因果だか、「私」はいま、この時代に、私として生まれ、生きている。わたし以外にわたしはいない。だったらもう、「わたしでいること」に腹をくくるしかないじゃないか。

 


「生きているだけで奇跡だから自分を大切に☆」なんて言葉で表現する人もいるかもしれないけど。そんな大層なことではない。ただ、「私はわたしとして、この時代、このときに生まれ、生きている」それだけのことだ。奇跡でもそうでなくてもどちらでも良い、「私はわたし」たったそれだけのこと。だからせめて、私でいることに責任を持つのだ。そしてその「責任の持ち方」とは、「自分を肯定すること」だ。

 


生まれてきたからには、生きなければならない。辛いこと、苦しいこと、信じられない出来事、たくさんある。乗り越えられることも、乗り越えられないこともあるだろう。生まれながらにして病気の人もいるし、とんでもない環境で暮らす場合もあるし、加害者になることも、被害者になることもあるかもしれない。

 


でも、ある程度の年齢まで生き延びることができたなら、「自分であることに責任を持つ=自分の存在を肯定する」べきだと思うのだ。

 

 

世界中に自分はただひとりなのに、自分が自分を嫌いだなんて……だったら誰が自分を好きでいるのだろう?自分が自分を嫌いでも、他の誰かは自分を好きでいてくれる?そんな事はあり得ない。甘えだ。

 


自分のことが嫌いという人にはとても気をつかう。気を遣ってほしいと言われているような気さえする。なぜなら、その人を肯定しなければならないと思ってしまうから。その人との接点がマイナスから始まる気がするから。自分の人生を生き抜こうと思っていない人なのかな、と思ってしまうから。

 

 

 

わたしは育った環境はあまり良くないし、離婚歴もあるし、仕事をクビになったことも、鬱になったことも、お金がなくて困ったことも、親に悩まされたことも、人に嫌われたことも、ひどい扱いを受けたこともある。でもそんなの、それだけのことだ。それがわたしの全てではない。過去が私を作るけど、未来も私が作る。自分でわたしを選んで生まれてきたのだから、マイナスもプラスもひっくるめて、でも自分を否定せず生きることが自分であることの責任じゃないかな、と思う。

 

 

 

 


過去や環境を愛せない人へ。

過去に感謝できないことはある。よくわかる。でも、許すことはできる。過去を許して、自分を肯定すると、人生は変わる。絶対変わる。

 

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肉食

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家族と焼肉。ホタテは娘の。

 

わたし外食が多くて、週に2回くらいは外(ランチ入れたらもっとかも) これ、減らしたら節約できるかなぁー   

 

最近ハマりまくりで一人でもいってるのが、ジビエ

鹿と猪の串焼きが美味しすぎて!!!

カロリー低いし鉄分豊富。最高。

仕事終わりに散歩がてらふらーっと行って、鹿とうり坊食べて、烏龍茶飲んでる。

そして知らない人と友達になったり、初対面のおじさまに奢ってもらったりしてる笑笑

 

猪ベーコンのトマト串がだいすき

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ここのジビエは狩猟、加工、調理までワンストップなのです。狩る時から食べる時の味わいを考えていらっしゃるそうで、狩り方も加工も美しい。だからまっっっっったく臭みはなし!本当に美味しい。

 

 

そう、わたしは肉食!!!!!!!!

いろんな意味で。

 

 

でも最近は夫以外とデート(もちろん夫には報告する)してない気がする。こんなんじゃだめだ!!!もっと遊ばなくては。遊ぶための人生だもの…

 

夫とは週1ペースでデートしてる…というと仲良さげに聞こえますが、実際は「別居婚だから時間作って会って近況報告し合う」みたいな感じ。

 

夫は社会人ですが、秋から働きながら大学院に通う予定なので、今はその書類の準備や論文を書く準備で忙しそう。もちろん通常の仕事もしながらだから、すごいなぁと思います、、、

私は夫にちょっかい出さずに一人で楽しく機嫌良くしてるが一番の夫のサポートになりそうなので、このタイミングで一人旅を企みちゅう…!

 

 

 

ゴールデンウィーク2018

今週のお題ゴールデンウィーク2018」


平成最後のゴールデンウィーク。前半は少しだけお仕事があったり、家の掃除で終わったり。後半はバーベキューにお誘いいただく機会が何度かあって、どれも楽しかったなぁ。


地元に移り住む前は連休=帰省で、東京から地元へ戻って過ごしていたけど、今はずーっとのんびりできてラク!帰省組だと移動で数時間だし、お金もかかるしね。疲れるわ。大変だ。


2回目のバーベキューはアーティストや自営の人たちばかりで、だいたいみんな二ヶ国語以上喋れて、レコード流しながら焚き火する意識高い系バーベキューだったのだけども、本当に楽しかった。東京に居たら、繋がれなかったひとたち…!(って、都内からこのバーベキューのためにわざわざ来ていた人もいる!笑)


そしてこどもの日は娘と美味しい和食を食べに行き、スタバのストロベリーのを片手に散歩して、連休最後の日は彼と素敵な場所でランチをいただきながら……お金の話。銀行からお金を借りなければならないので、それを。何年で返す?とか話し合い。ふう!現実!その後は彼がたこ焼き買って来て、ドライブしたりしてまったりのんびりのんびり過ごしました。良い連休だったと思う。




そして連休明けの明日から仕事だー!とはならず、明日も遊びの予定が入っている。素敵でおしゃれな料理上手男子にピクニックに誘われたから、行ってくるー!雨らしいけど、まあ、なんとかなる。お弁当楽しみー(わたしは一切つくらない)


連休明けの仕事は、おそらく木曜日あたりからかなぁー   ゆるゆるやります